2010年9月8日水曜日

みちのくツーリング

http://www.geocities.jp/sonekins/touring/20100821.html

GPSデータで走ったルートを表示させてみると、よくもまあ走ったこと・・・(汗)

一日目は滋賀県大津市までの612キロ。

この日は大阪府と奈良県の県境にある暗峠が印象深かった。地元ライダーのオオキンさんに案内してもらったのだが、3桁国道とはいっても、これほどとは思わなかった。峠まではほぼ直線的な道で、一度止まると走れなくなるんじゃないかと思うほどの急勾配。おまけに直前の雨のおかげでうっすらと濡れていて、たまに現れる極端なヘアピンカーブではスリップしそうで正直怖かった。

その後、一度町へ出はしたのだが、琵琶湖に向かう道はこちらもとんでもない山道。イノシシの親子や野生の鹿にも2度遭遇。「セローだけに鹿に会ったの~」とはオオキンさん。最後は道に迷ってしまい、日もどっぷり暮れて午後8時にやっと大津に到着。行き当たりばったりの宿探しも、親切な車中泊のおじさんに民宿を紹介してもらって、何とか確保。宿に入った時間が時間だったので、夕食は外食で10時過ぎ。この日はオオキンさんと二人で民宿に泊まることとなった。


二日目…
大津から富山県輪島。
午前中は一日目に引き続きオオキンさんに案内してもらって琵琶湖近辺を流した。黒壁商店街(写真)に寄って、彦根城ではひこにゃんグッズを入手。その後、奥琵琶湖パークウエイへ。昼飯を一緒に近くのラーメン屋で済まして、オオキンさんとはここでお別れして、本格的な一人旅の始まり。
北陸自動車道に上がって、ひたすら輪島を目指す。
途中、なぎさドライブウェイの看板に引かれて、砂浜を車で走れるという世界でも珍しい砂浜へ下りた。ドライブウエイにはいったはいいが・・・しまった(汗)。いくら車で走れるといっても、所詮砂浜は砂浜。砂が湿っていてしまっている所はいいのだが、所々に出現する乾いた砂のところに差し掛かると、ビックバイクにとって恐怖の瞬間が待っている。直進してるだけなのに前輪から横に逃げようとし始める。足を付きながら何とかやり過ごすが、ビックバイクではここに入るべきではなかったようだ。砂浜にバイクを止めまったりする事も出来ない。だって、砂浜だもん。サイドスタンドなんか役に立たない。

なんだかんだで無事砂浜地獄から抜け出し、一路輪島へ。明るいうちに町に入り、宿もすんなり決定。走行距離は414キロ。夜はいい感じの町のしなびた中華飯店で夕食。夜更けの太鼓に外に出てみると、キリコという山車?ににぎやかな太鼓。若い衆も威勢がよかった。思いもかけずこういう祭りに出会えるのも、行き当たりばったり旅の醍醐味かも。部屋のエアコンが「グァアラ~ガラガラガラガラガラガラガラガラガラ~」と一晩中異音を発している以外は最高の夜だった。




3日目・・・
輪島から仙台へ
この日はひたすら北へ北へと急いだ日だった。計画では三日で目的地へたどり着く予定だったのだが、能登半島へ寄り道したのが余計だった。爆走682キロ。途中、猪苗代湖に寄ったが、それ以外はずっと高速。
途中、古くから北陸道(越路)最大の難所として知られて来た親不知で休憩。山が海へせり出し、行き場のない高速道路は海上橋梁となっていて、それが迫力ある景観を作り出している。それにもまして高速と並行して走っている国道の洞門も圧巻。
仙台では牛タンと冷麵を堪能した。
宿泊は今回のツーリング初のビジネスホテル。シングルが空いてなくてツインルーム。もちろんシングル料金で。
ビジネスホテルは部屋はこぎれいで良いけど、つまらん。やっぱり民宿やペンションが楽しく感じる。一人旅のせいかも・・・。




4日目…
仙台から十和田湖へ
このツーリングの目的地の岩手県旧沢内村へ午前中に到着。「村民の生命は村が責任を持つべきだ」。昭和32年、沢内村長になった深澤晟雄氏。その偉業をたたえる資料館へ。“豪雪・多病・貧困”とてつもなく大きな問題を抱えていた山間の小さな村・沢内村。
長く無医村であったこの地で、自分達を苦しめている問題を打破しようと村民に語りかけ、自らの信念である『生命尊重』行政の在り方を説き、いよいよ村民の医療無料化に踏み切ろうと決意。しかし、国民健康保険法違反という壁に突き当たってしまう。
氏は、村民のいのちのため、全国に先駆けて何としてでも実現させようと「少なくとも憲法違反にはならない。国がやらないから、村がやるんです!」と憲法25条を盾に、老人・乳児医療無料化を推し進め、全国でも最悪の乳児死亡率だった村が、全国初の乳児死亡“ゼロ”という記録を生みだした。その沢内村を訪れてみたいというのが今回のツーリングの目的。
この資料館では生命村長・深澤晟雄の精神と業績、生命尊重の理念を継承発展させる研究活動を軸に、人類普遍の「いのちの尊さ」を発信している。「生命尊重こそ政治の基本」との信念のもと「雪と貧乏と病気」の三悪追放に命を賭けた「深澤精神とその業績」をほんの少しだが、学ぶことが出来た。

資料館でしっかり研修したあとはツーリング雑誌で下調べしていた八幡平へ。途中、露天風呂の看板に一度は通りすごしたが、引き返して入浴。この日はまったりと過ごしたつもりだったが389キロ走破。どうもこの頃から距離感が麻痺し始めている。
この日は十和田湖の国民宿舎に宿を取った。なんとはなく懐かしい雰囲気満点の宿舎で、東北ならでは?ではないと思うが、部屋にはエアコンがなかった。ま、なくても快適だったが・・・。





5日目・・・
十和田湖から再び西和賀町(旧沢内村+湯田町)へ
十和田湖から奥入瀬渓谷を抜け、八甲田山声で青森市へ入るルートを走った。
奥入瀬渓谷は、どこまでも続くぶなの林の中を渓谷に沿って走る。ここから続く八甲田山越えの道は8月とは思えないほど寒かった。20度を下回っていたのではないかと思うが、メッシュジャケット+メッシュパンツでこの寒さは効きました。途中で雨合羽を着込んだが、青森市まで下りても冷え切った体はなかなか温まらなかった。5日間でたまった疲労もちょうど峠。寒さで体力を消耗してしまい、しばらく体を休めないと走れなくなってしまった。正直この時は帰れるんだろうかと少し不安になった。幸い、1時間程度で体力、気力とも回復。オオキンさんに頼まれたお土産をゲットするために青森駅へ・・・。

ここで折り返して、南下を開始。八郎潟を目指した。途中、康楽館を外から観光。芝居小屋へ導く石畳の道の両側には賑やかに幟が立ち並んでいた。ここを通るだけで気持ちが高揚してくる。地元にも大正時代に建設された芝居小屋があるが、この康楽館は完全な洋風建築で白い外壁がとてもおしゃれな感じをかもし出していた。内部には入ってはいないが、一転して和風の芝居小屋なのだとか。
小坂町を後にして、一路八郎潟へ。ここは小学校のときから気になっていた場所。社会科の授業で、ここの大規模な干拓事業のことをを教わった。工事は1957年に着工し、1967年から入植を開始。全体の事業は1977年に竣工したとのことだから、教わった頃はちょうどこの国家的大プロジェクトはまさにリアルタイムな出来事だった。ちなみに瀬戸大橋も中学校の頃、着工したっていう壁新聞を学級活動で作った記憶がある。あの頃の日本は元気だったんだなあ~って、今になってつくづく思う。そして、その地に立ってみると改めてその広大さに圧倒された。

この日はもう少し南下しようかとも思ったが、もう一度沢内村へ・・・。正確には沢内村の隣町、今は合併して同じ町となった湯田町で宿を探した。あまり考えず飛び込みで決めた宿だったが、とても落ち着いた温泉宿で大満足。溜まった疲れをゆっくり癒すことが出来た。写真では伝わらないのが残念だが、とても素敵な温泉宿だった。
この日の走行距離は417キロ。燃費はここまで平均してリッター20キロを超えている。意外と伸びている・・・気がする。




6日目・・・
西和賀町から長野へ
宿を出てすぐに高速に上がり、最初のSAで職場や友人へのお土産を買った。果たして後三日、この炎天下の中バイクに積んで持って帰っても大丈夫なのだろうかと心配はしたが、買わない訳にもいかないので、日持ちのしそうなものを選んでお買い物終了。その後は、ひたすらに南下した一日だった。途中、磐梯山の裏磐梯で快走路を満喫し、一路長野へ…。699キロ走破して、市内のビジネスホテルに入った。北上するときにはあまり感じなかったのだが、南に行くにつれ、暑さがじわじわと増してきているのを実感。市内に近づくと渋滞にもつかまり、暑さは倍増。夕食は近くの居酒屋で軽く済ませた。隣の席の出張中な一見して上司と部下という関係のふたり。上司が人生論を熱く語っていた。別に聞き耳立ててるわけじゃないのだが、聞こえてきてしまう。部下だろう20代の青年は、笑みを浮かべながらずっとうなずいていたが、話はエスカレートして理想の親父像の話へ。多分年回りはあまり変わらないと思うが、熱く語るその上司に生ビールを一杯おごってあげたかった。(のどが渇くだろうなって思っちゃって…)うなづいてる部下の青年に言いたかった「貴方いい上司に恵まれて、幸せだね~」って。課長(…か、どうかは分かりませんが)、勉強になりました。


7日目・・・
長野から大阪へ
この日はおかちゃんお勧めの国道19号線をゆっくり楽しんで諏訪湖へ。前日の夜ホテルで洗濯した下着やTシャツが朝までに乾かなかったので、諏訪湖の畔でまったりしながら天日干しした。諏訪湖湖畔は花火大会直前のようで、湖に向かって仮設の観客席が並んでいた。ここでゆっくりしすぎたせいで、おかちゃんお勧めの次のコースは断念。一路大阪を目指した。大阪市内を目前にして雲行きが怪しくなり、ついにこのツーリング初めての雨。夕立だからすぐにやむだろうと、高速バスの停留所に避難し、30分ほど休憩。ナビが防水じゃないし、市内に入る手前なので、ここから先ナビにお世話にならないと宿にたどり着けない。小降りになって走り出したが、事故渋滞につかまってしまい思うように走れない。暑さもピークに達して、ついにナビがおかしくなり始めた。この時ばかりは焦った。目的地が検索できなかったり、勝手に再起動したり・・・。それでもだましだましナビさせて、環状線を1週半して目的地周辺まで到達。最後に下りるべきインターが表示されたところまではよかったのだが、そこでナビがフリーズしてしまった。それに気づかずナビが下りろといわないので、そのまま乗り過ぎて、奈良まで行ってしまった。最初のインターで下りて引き返そうとしたが、そこで大変な目にあった。通常ならETCでそのまま通過できるのに、夕立の雷のせいで一帯のETCシステムがダウンしてしまったため、ゲートでカードを出せと要求された。カードはシート下。荷物を降ろしてシートを外して、カードを取り出したが、後ろは大渋滞。まいった(汗)。
宿舎は前日オオキンさんに紹介してもらって予約していたから、飛び込み宿探しはしなくてよかったが、その宿にたどり着くのに一苦労。宿に電話して道を教えてもらってやっとたどり着いた。走行距離は557キロ。夕飯は再びオオキンさんと合流してお好み焼き屋。ツーリング最後の夜を楽しんだ。

8日目…
大阪から愛媛へ
ついにツーリングも今日が最終日。職場から月曜日に重要な会が入ったから、必ず出席するようにとメールが届いた。実は予定を変更して後二日ほど日程を延ばそうかとも考えていたが、やむを得ず断念。
オオキンさんと朝マックして、お気に入りのコースに案内してもらった。奈良の山間の道の駅で、ジージャンに赤いバンダナのお爺さんを見かけた。まさかとは思ったが、バイク乗り。颯爽とVーMAXに跨り、フルスロットルで走り去っていった。ナイス!爺さんカッコよかったぜ~。多分70過ぎ。あんな爺さんになりたいもんだと、つくづく思った。・・・あと20年だと思うと、思いのほか短いことに今更ながら気付いてしまった。大阪に戻ってラーメン屋で昼食を取り、高速の入口まで案内してもらった。行きと同じコースで順調に走っていたのだが、最後の給油に豊中SAに入ったところで、なんとバッテリーが急に弱ってしまい、セルが回らなくなってしまった。とりあえず押しがけを試みるが、始動できず。やむなくガソリンスタンドでブースターケーブルを使ってエンジン始動。後は一気に自宅まで走った。トラブルの発生はSAで幸いだった。これが八甲田山の山中だったらと考えるとゾッとする。最終日の走行距離は554キロ。8日間の総走行距離は4,335キロだった。旅のお供のZRX1100は最後にバッテリートラブルがあったものの、それ以外はまったくトラブルもなく、快調に走ってくれた。初めてのロングツーリングに、色々と不安な面もあったが、思い出に残る最高のツーリングとなった。

8 件のコメント:

  1. チョイノリ2010年9月13日 21:59

    楽しい旅ですね
    いろいろあって…
    2人で走ってて、1人になるってどんな気分ですか?

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  2. 正直、寂しいもんですね。一人旅の気楽さを楽しむのには少し時間が必要でした。30分くらいでしたけど・・・

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  3. チョイノリ2010年9月14日 20:51

    ハハハ…^^;

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  4. チョイノリ2010年9月14日 20:54

    全く知らないところを走るのは…面白いか不安か…
    あこがれるけど…なかなかです。

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  5. 全く知らないところを走るのは、あのコーナーの向こうにはどんな風景が待ってるのか、もっといい風景が広がってるんだろなあって、次へ次へって気持ちが高ぶります。そのお陰で走り始めるとなかなか止まれませんけど・・・汗

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  6. チョイノリ2010年9月14日 22:09

    ふ~~~ん…
    奥深い…

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  7. 深くはないけれど、ま…そんな感じです。

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  8. チョイノリ2010年9月15日 21:14

    奥深いですよ

    そんな気持ち経験したことないからでしょう…
    想像はできますけど

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